■2015年現地(被災地)ツアーを実施<報告>

 あれから5年近くになるわけですが、福島は今どのような状況なのでしょうか?
 2015年11月8日〜10日に福島を訪問する機会がありました。特に11月10日には
『フクシマ論』で有名な開沼博さん(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター)の
案内で福島県の津波被害・原子力災害地域を巡ってきました。ツアーでは、
エネルギー産業基地としての福島の歴史や地理について、様々なデータを
基に福島の現状についてバスの中で講義を受け、その上で現地を見て、
そこにいる人の話もうかがってきました。
 どこを見るか、だれに話を聞くかで、印象は異なってくる。単純に一言では
語れない福島が、そこにありました。

  詳しくは次のファイルをご覧ください。→被災地ツアー報告2015(pdf)
 11月13日に札幌で開催した北海道連合会の同窓会総会懇親会で報告
したものをアレンジしたものです。各スライドに簡単にコメントもつけています。
(マウスカーソルを吹き出しのマークに重ねてもコメントが表示されない場合は
 PDFファイルをダウンロードしてからご覧ください)
(文責:安倍 隆)
福島の今報告用資料の表紙

 

■2014年現地(被災地)ツアーを実施<報告>

 あれから3年半、復興は進んでいるのか? そこに暮らす人々の想いはどのようなものか?
昨年に続き、【その後】を自分の目で確かめるために、今年は岩手県の沿岸部を訪ね、
現地の人から直接話を聞くツアーを実施しました。
2014年11月1日(土)〜11月3日(月・祝)に、岩手県釜石市と大槌町、陸前高田市を、
語り部の方の案内で回ってきました。
 
 いずれのまちでも、繰り返しTVなどで見た風景、そして報道では流れなかった現実が
そこにありました。
 釜石では、「釜石の奇跡」と称される、中学生が率先して避難し「津波が来るぞ、逃げるぞ」と
周囲に知らせながら小学生や保育園児、お年寄りの手を引いて、もっと高く高くと走り続け、
全員無事に避難することができたというその現場を歩きました。
 大槌町では、市街地が津波と津波火災に包まれ、助けを求める声に応えられずに
見ているしかなかったという語り部の方と、その時に避難した城山公園に登り、いまだ
さら地が広がるばかりの大槌町市街地などを見て回り、当時の様子などを教えていただきました。

 語り部の方が強調するのが、「どんな立派な防潮堤でも人工物は壊れる」こと。
釜石港湾口防波堤のような立派であればあるほど、油断を生んでしまう。
「自分の命は他人ではなく自分で守る」こと、そしてそのためには、いざというときに体が
動くような「訓練が大切である」ということ。「逃げる文化をつないでいきたい」という
九死に一生を得た人の言葉が印象的でした。

 奇跡の一本松が復興のシンボルとなっている陸前高田市。震災前、沿岸部には街が広がり、
数万本もの松林「高田松原」がありました。
 市では、沿岸部は人が住まないゾーンとすることを決め、松林は元の姿に復元するようです。
 そこでは今、想像を超えるほど巨大なベルトコンベアが、市のはずれの山から、遠く離れた
沿岸部に直接土砂を送り続けていました。そして土地のかさ上げや、高台移転場所の開拓
などのために工事車両が、かつて街だった、今は荒野のように見える場所を走り回っていました。
 松林の内側と外側には、3mと12.5mの高さの二重の防潮堤を張り巡らし、河口には200億円の
水門を築くことで、相当の高さの津波を防ぐ計画です。
 このまちは一面では順調に復興が進んでいるのかと思いきや、語り部の方の評価は厳しい
ものでした。
 「何百億の費用をかけ、監獄のようにコンクリートで堰を築き、人が住まない沿岸部の、
いったい何を守るのか!」、「陸前高田をはじめ三陸は豊かな自然に恵まれ、縄文からの
遺跡も多い。かさ上げ工事で、大切な文化が失われてしまう。」、「仮設住宅の中には転居を
繰り返したり、新しい人が出たり入ったりで、人間関係が築けないのが辛い。急いで欲しいのは
この問題である。」

 今回のツアーでは岩手県の釜石市と大槌町、陸前高田市を中心に巡り、語り部や
市民の方にいろいろな話を聞きました。震災当時の津波の恐ろしさや防災の大切さの他、
市民の声が復興に活かされることの難しさを知りました。
 今回私たちは聞くばかりで何も具体的な支援が出来た訳ではありません。
しかしこうしたガイドツアーに参加したのが縁となり、被災地とのつながりが生まれ、
具体的なアクションが起きる例も知りました。
 北海道に住む私たちだって、まだまだやれることは多いはず、 ふるさと復興・学び支援隊
として考え続けていきたいとの思いを強くしました。

 当日のツアーには参加できなかったものの、企画や準備の多くを担ってくれた事務局の
森健吉氏に感謝申し上げます。
(ツアー参加者:山田正二(農S41卒)、山田惠子(農S43卒)、安倍 隆(農S61卒) 文責:安倍 隆)

 このツアーについては、11月14日に札幌で開催した北海道連合会の同窓会総会懇親会で報告しました。

 報告用資料はこちらのファイルをご覧ください。→被災地ツアー報告2014.pdf

 ※山田惠子さん(農S43卒)が、とても詳細な報告書を作成しました。
  「北海道女性研究者の会」通信70号に掲載された原稿ですが、ご厚意で本サイトにも載せさせて
  いただきました。
  ぜひご覧ください。→被災地ツアー報告2014(山田惠子).pdf

■2014年現地(被災地)ツアーのご案内<終了>

 あれから3年半、復旧・復興は、どんな状況なのか?
 昨年の宮城県訪問に続き、今年は岩手県を訪ねます。
 11月1日(土)〜11月3日(月・祝)で、釜石や大槌町、陸前高田などで被災地ガイドツアーに
 参加するプランです。

 御家族やお知り合いもお誘いの上、多くの皆さまの御参加をお待ちしています。
 プランの詳細や申し込み先ははこちらをご覧ください。→2014年被災地訪問内容.pdf
 申込書のファイル→2014年被災地訪問申込書.xls
 申し込み締め切りは10/4(土)まで。<既に申し込みは終了しました>

■2014年被災地訪問に関するアンケートのお願い<終了>

 みちのく・復興学び支援隊では、昨年度に引き続き2014年にも被災地訪問を計画しています。
 出来ましたら次のアンケート表に回答を頂きたく、協力をお願い申し上げます。

 アンケートファイル・返信先→2014年度被災地訪問に関するアンケート表.xls
 2014年7月25日(金)までに回答をお願いします。
 その後、ご意見を踏まえて行先と実施時期を決定して、改めてご案内いたします。

■2013年現地(被災地)ツアーを実施<報告>

 あれから2年半、復旧・復興は、どんな状況なのか?
 【その後】を自分の目で確かめるために、東北大学及び宮城県の沿岸部を訪ね、
 現地の人から直接話を聞くツアーを実施しました。
 ツアーは2回、2013年9月14日(土)〜9月16日(祝)と10月31日(木)〜11月2日(土)に実施。
 
 

 そして、その時に見聞きしたことは、11月15日に札幌で開催した北海道連合会の
 同窓会総会で詳しくレポートしました。

 報告用資料はこちらのファイルをご覧ください。→現地(被災地)訪問報告<ダイジェスト>.pdf


■2013年度支援活動「みちのく復興・学び支援隊/現地(被災地)訪問」のご案内

 私たち「みちのく復興・学び支援隊」(東北大学同窓会北海道連合会東日本大震災
支援実行委員会)は、2011年3月の東日本大震災に対して、北海道の東北大学同
窓生の有志が集まり、何か支援できることはないのか、と同年4月より活動を始めまし
た。

 この支援活動の呼びかけ人菅原美穂子さん(文H3卒)、隊長(代表)中澤隆さん(文
S56卒)、事務局小野寺明則さん(理S63卒)を中心に、10数名のメンバーが集まり、
会合を重ねました。話し合いの結果、長い時間が必要な東北の復興を将来担ってい
く若者の学業継続、遂行を支援することを目指して、支援活動を進めることにしました。

 その支援第1弾として、石巻高校へ、同校OBの佐藤隆治さん(経H8卒)が、2011年
5月6日訪問し、応援メッセージ・図書の寄贈を行いました。さらに菅原さんの起案に
よるチャリティコンサートを同年7月19日(火)、札幌市教育文化会館で開催しました。
コンサートには数多くの同窓生、その家族・関係者や一般市民の方にお越し頂き、ま
た寄付もお寄せいただきました。おかげさまで収益・寄付金は約105万円となり、全額
が、同年8月10日、東北大学井上明久総長に、メンバーの日野光兀さん(東北大学名
誉教授、北海道職業能力開発大学校 校長(当時))から手渡され、東北大学震災寄
付金の一部として、学生の支援に充てられました。

 昨年(2012年)度も会合を継続し、7月に中澤さんが現地報告会(本業の燃料の供
給で、八戸、石巻、気仙沼を訪問)を行いました。震災当時の直接の体験を聴くこと
とその後の現状の理解を深めるために、11月の同窓会北海道連合会総会の講演会
で、河北新報編成局長の武田真一氏を講師としてお招きしました。
 当日は多数の同窓生が参加し、スライドで当時や現在の状況を見ながら、それらの
体験者として、又各地の取材の陣頭指揮を執った方として、そしてその後も現状の変
化を追っている方としての視点から貴重なお話をうかがいました。

 今年度(2013年)に入り、昨年度から事務局を務める森健吉さん(教H11年卒)が中
心となり、会合を継続してきました。その中で、3年目に入った現在、学業支援を目指
し活動してきた方向性を見直して、「震災からの学び(=震災を忘れない)」を今年度
の活動方針としました。その上で今回ご案内の「現地(被災地)訪問」及び同窓会北
海道連合会総会で報告することを活動内容として検討をすすめてきました。

 以上のような「みちのく復興・学び支援隊」のこれまでの活動をご理解いただき、今回ご
案内の「みちのく復興・学び支援隊/現地(被災地)訪問」に、一人でも多くの同窓生の
方々にご参加またご協力いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

2013年7月25日

みちのく復興・学び支援隊 隊長 五十嵐 仁(文S55年卒)
(東北大学同窓会北海道連合会東日本大震災支援実行委員会)

 

支援第2弾 チャリティコンサート開催<報告 その2>
  コンサートの収益金は、1,050,765円となりました。
  コンサートに足をお運びいただきました皆様、チケット購入やCD購入、そしてご寄付をいただきました皆様、
 誠にありがとうございました。

  収益金の全額を、8月10日に東北大学片平キャンパスにて、井上明久総長に手渡しました。
  今回被災した学生への奨学金として利用していただくこととなっています。
  井上総長に収益金目録を渡す日野さん
  みちのく復興・学び支援隊を代表して日野光兀さん(右)から、井上総長(左)に目録を手渡しました。

  この様子は、東北大学萩友会のページでも紹介されています。→こちら

  その後、総長名のお礼状も届きました。→こちら


 ■支援第2弾 チャリティコンサート開催<報告 その1>
  第1回みちのく復興・学び支援コンサート 〜未来を創るキミたちへ〜
  第1回チャリティコンサートチラシ   
  2011年7月19日(火)に札幌市教育文化会館小ホールにて、チャリティコンサートを開催し、
 300名近いお客様にご来場いただきました。
  チケットお買い上げいただきました皆様、ご協賛、募金をいただきました皆様に、心より
 感謝申し上げます。
  収益金額および支援の内容につきましては、別途このホームページを通じてご報告
 いたします。

  
  

 ○2011年7月19日(火)開場18時 開演18時30分
 ○入場料2000円(収益は全て被災地の教育機関に寄付します)
 ○札幌市教育文化会館小ホール
 ○演奏曲
  ・ハイドン/ピアノトリオ 第39番ト長調
  ・シュトラウス2世/トリッチトラッチポルカ
  ・ブラームス/ハンガリー舞曲 第6番ニ長調
  ・リスト/愛の夢
  ・フランク/ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調  他
 ○出演
  ・バイオリン:伊藤亮太郎:札響コンサートマスター
  ・ピアノ:越田美和:レガロ企画代表
  ・チェロ:平田昌平:東京都交響楽団副首席奏者
 ※チラシ。→こちら

 ■支援第1弾 石巻高校へ英語教材を贈呈
  平成23年5月6日に、石巻高校へ英語の辞書や参考書などを贈呈しました。
  現地を訪れたのは、石巻高校OBである佐藤隆治さん(経H8卒)。
  地元の石巻かほく新聞でも大きく紹介されました。(記事は→こちら

 ■みちのく復興・学び支援隊として活動開始
  「今、被災地にいる若者たちが、震災の影響で学業をあきらめることがあってはなりません。
   おそらく長い時間が必要な東北の復興を将来担うのは、今、被災地にいる若者たちです。
   彼ら、彼女らがしっかりと学んでその役割を果たせるよう、私たち東北大学同窓会
   「みちのく復興・学び支援隊」は、震災のため学業の継続が困難な状態にある
   若者たちへの支援を継続的に行って参ります。」

  みちのく復興・学び支援隊(東北大学同窓会北海道連合会東日本大震災支援実行委員会)
   隊    長: 中澤 隆(文S56卒)
   呼びかけ人: 菅原美穂子(文H3卒)
   事 務 局: 小野寺明則(理S63卒)
   ご興味がある方は、事務局までメール(onodera.akinori@gmail.com)を。

 

 ■東北大学震災寄付金の受入について(東北大学ホームページ(緊急連絡)より,大学本部の許可を得て転載)

  今回の大震災に際し、東北大学に対し、多くのみなさまからご寄付のお申し出をいただいており、
 心から感謝しております。
  これらのお申し出に対処すべく、「寄付金の受け入れ方法」について、ご案内させていただきます。

   いただきました寄付金は、研究環境の復旧や学生の学習環境の回復など、東北大学の災害復旧
 及び復興のため、大切に活用させていただきます。
  また、物資によるご援助は、ご遠慮させていただいております。

   なお、東北大学病院に対する支援等については、こちらのページでご案内いたします。

  1. 寄附申込書に必要事項をご記入のうえ東北大学震災寄付金事務局へ送付(FAXまたは郵送)するか、
    WEB上で寄付申込フォームに必要事項を入力してください。
  2. 震災寄付金事務局より、専用振込用紙をお送りします。概ね1週間から10日以内に書類をお送りします。
    郵便事情により書類の到着が遅れることがございますので、あらかじめご了承願います。
  3. 専用振込用紙にて寄付金をお振込ください。誠に恐縮ですが、振込手数料はご負担願います。
    (取扱金融機関 七十七銀行)
  4. 後日、お礼状をお送りいたします。また、ご芳名をWEBサイト等に掲載させていただきます。
    ※お申込書等で「掲載を希望しない」をお選びいただいた場合、ご芳名等は掲載いたしません。

  WEB の場合:寄付申込フォームに必要事項を入力してください。
  FAX の場合:022−217―5584
  郵送の場合:980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1 東北大学震災寄付金事務局

  問い合せ先
  東北大学震災寄付金事務局  近藤、蜂谷
  住所:〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1
  TEL :022−217−5132
  FAX :022−217―5584
  E-mail:sinsai*bureau.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)


震災情報

震災に関して寄せられた情報

 ■工学部卒の日野 光兀さま(元東北大学工学部教授、現北海道職業能力開発大学校校長)より
  仙台、東北地方、東北大学の状況(工学部はかなり被害が大きいようです)を御伝えいただくメールを
 いただきました。
  日野さまより許可をいただきHPに掲載します。

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   今回の大災害の一被災者として情報を提供させていただきます。

   私の勤める大学校では、卒業式、指導員、事務職員との期末面談で朝から晩まで時間が拘束され、
  加えて、インフルエンザによる指導員の一人が急逝し、その葬儀委員長まで行いましたので
  てんてこ舞いといった忙しさです。週明けは入学式です。

   さて、当日11日私は小樽の職場にいましたので、長く2分間くらい揺れただけで特にどうということは
  ありませんでした。
   直後に事務員が震源が仙台沖だと知らせてくれて、大地震で大津波警報が出ていると知らせに来て
  くれました。
   直ちに仙台行きの最終便の航空券を手配し、新千歳空港に向かったのですが、御存じのように
  仙台空港が津波に襲われ欠航。近くの空港を探したら福島空港行きが翌日12日の早朝の便が
  1席だけ空いているというので7時50分発のチケットを入手し、急いで小樽の戻り、コンビニで大量の水と
  カップラーメンを旅行バックに入るだけ買って詰めて翌朝6時前にアパートを出ました。
   福島空港は着いてみたら栃木県との県境である白河の関のすぐ隣の須賀川市にあり、ここから仙台に
  移動する公共交通手段が全くないことが判り、やむを得ずタクシーで移動しました。交通規制が掛って
  いた福島県内の被災地を強行突破し、片道6時間かかりました。夕方やっと家に着いたら、家内と娘が
  1晩車の中で寝泊まりしたとのこと。クッキーやせんべいだけを食べて飢えを凌いだとのことでした。
   家の中はめちゃめちゃで壁はひびが何か所も入って壊れなかったのが不思議なくらいでした。
  つっかえ棒をしていたので洋ダンスや和ダンスは倒れず、直ぐ傍にいた家内は下敷きにならずに
  助かりました。が、つっかえ棒は天井を突き破って天井に突き刺さっていました。
   その他の整理ダンスや本棚は全て倒れ、皿などの調度品は床一杯に壊れて散乱していました。
   娘ともども抱き合って外に飛び出したとのことで、かすり傷一つもなく逃れられたのが不思議なくらいです。

    床に散らばったものを掻き分け、この日のために買い揃えていた携帯用のガスコンロを取りだし、
  早速お湯を沸かし、カップラーメンを食べました。こんなにカップラーメンが美味しいとは思わなかったとの
  感想でした。幸い中心部の我が家はこの日夜遅く電気が復旧し、こたつに入って暖を取ることが
  できましたので、誰も風邪を引かずに済みました。翌日から飲み水の配給が始まったのですが、
  2時間くらい待って1人に2リットルのみ。14日に固定電話が復帰し、15日になって我が家は水道が
  復帰してほっと一息つけました。幸い風呂に残り湯があったので、その間トイレの水は何とかなりました。
  が、こんな状態でしたので、住民は近くの公園の池の水を汲み始めていました。近くにイトーヨーカ堂や
  コンビニがあるのですが、開店前に500人ほどの行列ができ、開店1時間くらいで売り物がなくなり、
  直ぐ閉店しました。ガソリンが全く入手できず、買い出しには行けない状態で、暴動が起きないのが
  不思議な状態でした。

    18日に私の大学校の卒業式があったので、帰りの飛行機の切符を探して16日やっと1席だけ
  福島空港発が入手でき、また4時間かけて仙台からタクシーで移動し、無事卒業式を挙行でき
  ホッとしています。

   その後仙台に戻る空路が断たれている今、私は仙台に再度帰る手段がなく、ここ5日ほどは愚息が
  休暇を取って長野から駆け付け食料を運んで帰って行ったところです。幸いに娘が今春から京都の
  大学に入学することが決まっており、アパートも契約済みですので、今週末母親を伴って、
  長野の愚息のアパートに5日間ほど滞在し、京都にしばらく二人住まいすることに決めました。

   東北大学工学部は青葉山上にあり震災で建物がひびだらけになり立ち入り禁止になっている
  とのことです。解体しないといけないだろうとのことです。幸いなことに学生、教職員は全員無事
  とのことでした。勿論実験装置は全てお釈迦になったとのことです。

   その後、札幌発山形空港行きの臨時便がありましたので、野菜などの食料を買って、24日山形経由で
  仙台にまた行ってきました。27日朝仙台を発って戻ってきたのですが、まだガスは復旧せず、
  家内も娘も風呂に入りたいと嘆いていました。ガスの復旧工事は泉区の西部地区は始まったのですが、
  我が家までには27日朝現在まだ届いていませんでした。

   尚4月4日現在、泉区泉中央ではガス供給が復旧したとのことですが、青葉区の市の中心部は
  まだ復旧していないとのことです。

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ※同窓の方でもし現地の情報や支援の情報をお持ちの方で、HPに掲載してもOKという方が
   いらっしゃいましたら、HP管理者の安倍(農卒)(anbai@mec.edc.ac.jp )まで連絡をお願いします。